魯粛と関銀屏 -遊戯-
それは夏の盛りのある日の事。
銀屏を鍛錬に誘った魯粛は私邸の裏庭で刃を交えながらその強さに驚嘆していた。妻の武は義父である関羽に引けを取らない、否、それ以上だと理解していたのだが。こうして受ける攻撃は一月前とは比べものにならないほど、重く鋭いのだ。どれほど多くの鍛錬を積んだのだろう。皆が笑顔になる一助となる為、そして己の背を守る為にと励んだ成果を肌で感じ、誇らしく愛おしく思う。しかし妻は決して満足しないだろう。より一層の強さを求め、これからも邁進するに違いない。そんな銀屏の助けとなるべく気合いと共に九歯鈀を振り上げれば、衝撃波が小さな体を襲う。が、いとも容易く打ち払われてしまった。
本当に強くなった。
心嬉しく思いながら得物を引き寄せていると、一気に間合いを詰められる。そして気合いと共に振り上げられた狼牙棒がうねりを上げるのだ。迫り来るそれを九歯鈀で押さえ込み、息を飲む妻に口角を上げた。己を見据える美しい眼は強い意志を秘めている。武人としての血が騒ぎ尚もぐっと押さえ込めば、歯を食いしばる銀屏の眼差しはより一層強くなった。そして気合い一閃、九歯鈀を跳ね上げるのだ。均衡を崩し大きく仰け反れば、くるりと回転した妻はがら空きとなった胴目掛けて得物を突き込もうとしている。
だが。
「!」
素早く引き寄せた九歯鈀で狼牙棒を弾くと、今度は銀屏が均衡を崩した。のけ反る妻の脇腹目掛けて得物を叩き込もうとしたが、驚くほどの早さで体勢を立て直した妻にそれを弾かれる。そして狼牙棒を眼前で寝かせ、体当たりをしてくるのだ。かなりの衝撃だがどうにか耐え抜き九歯鈀を振り上げたその時―。
一陣の強い風が我らの間を吹き抜けた。
それは砂埃を舞い上げ視界を不明瞭にする。そればかりか視力さえ奪いかねないのだ。慌てて目をかばう銀屏の小さな頭を抱き寄せ、風塵が収まるまでまぶたを閉じていた。

「大丈夫か?目に入らなかったか?」
「うん。子敬様がかばってくれたから大丈夫。ありがとう。子敬様は?大丈夫だった?」
「ああ。大丈夫だ」
微笑を浮かべると妻もまた微笑を浮かべ、良かったと安心してくれる。愛らしい人に目を細くしながら、凄い風だったねと驚く銀屏に頷いた。
「砂まみれになってしまったな」
美しい髪も白い肌も台無しだ。砂埃を優しく払うが、あまり効果は無い。それでも妻は、ありがとうと愛らしく笑う。そんな可愛い銀屏に笑顔で応えると、すらりとした腕がこちらに伸びるのだ。そして同じように頭や肩についた砂埃を優しく払われた。が、矢張り落ち難いようだ。
「洗った方が良さそうね。沐浴の準備をしてくるから、ちょっと待ってて」
「待て」
きびすを返す妻の腕をやんわり掴み軽やかな体を抱き上げると、妻は驚き目を丸くする。
「どうしたの?」
「俺が湯殿に籠る間に戦装束を洗うつもりだろう?」
「うん」
「そのような手間を掛けんでも、体も戦装束も一気に洗える良い方法があるぞ?」
「えっ、本当?」
益々驚く銀屏に笑顔で頷き、そして。

妻を抱き上げたまま裏の太湖に飛び込んだ。
頭の先まで水に浸かり、ややあって水面に顔を出せば、己にしがみついている銀屏は顔をしたたる水や張り付く髪を払いながら目を瞬いている。
「一気に洗えるってこういう事だったのね」
「良い方法だろう?」
立ち泳ぎをしつつ下りた前髪をざっと掻き上げ笑顔になれば、妻もまた笑顔で頷き、びっくりしたと楽しそうに笑うのだが。何かを認め、あっと声を上げた。
「どうした?」
「子敬様、帽子が無いよ」
「なに?」
頭に手をやれば、確かにそこには何も無い。どうやら飛び込んだ衝撃で外れたようだ。二人で辺りを見渡せば、銀屏が再び声を上げる。
「子敬様、あそこ。あそこに浮いてる」
妻が懸命に腕を伸ばすその先に、己の帽子がゆらゆら揺れていた。あまり波を立てないよう静かに寄れば、精一杯腕を伸ばしていた銀屏の細い指先が帽子に触れる。尚も距離を詰めたその時、しっかりと帽子を掴んでくれた。
「流されなくて良かったね」
はいとそれを被せてくれた妻に笑顔で頷き礼を言えば、妻もまた笑顔で応えてくれる。そんな可愛い銀屏の口唇を甘く食めば、白い頬はたちまち赤く熟れた。はにかむ妻に目を細くすると、より一層赤くなるので可愛い事この上ない。しかも、銀屏からも愛らしく口唇を食まれるので可愛くてたまらないのだ。顔中に口付けの雨を降らせ、くすぐったそうに笑う可愛い人を優しく見つめる。
「折角ここまで来たんだ。あの小島で休んで行くか」
「えっ。う、うん」
「どうした?」
嫌がっている訳ではなさそうなので、真っ赤な顔で動揺する妻を優しく見つめていれば。
「一年前の事を思い出して、その」
・・ああ、そういう事か。
「あの時のお前はいつになく、愛らしく美しかったな」
そしてたまらなく淫らだった、そう小さな耳元で甘やかに囁けば銀屏はヒクリと跳ねた。
「思い出しちゃ駄目」
縮こまる柔らかな体と鼻腔をくすぐる甘く清涼な香りに情欲を刺激される。
「駄目なのか?」
「うん、駄目。恥ずかしいから」
益々縮こまる愛らしさに目を細くしながら、可愛いと耳殻を甘噛みすれば、たったそれだけで柔肌は熱く染まり甘やかな吐息がもれるのだ。あの頃よりも感度が良くなった愛妻に劣情を催しながらおとがいに優しく触れる。優しく持ち上げれば銀屏は恥ずかしそうに顔を上げてくれた。どぎまぎと見つめてくる可愛い妻を甘やかに見つめ瑞々しい口唇を貪りつつ尚も誘うと、息を乱しながら恥ずかしそうに頷いてくれる。それを喜びながら尚も貪り、小島の浅瀬に上陸した。

あの時と同じように銀屏を膝に乗せ口唇を優しく離せば、息を乱しながらとろりと見つめられる。快楽に濡れたそれのなんと甘い事か。震える長いまつげや上気した頬にもあおられ、あの時と同じように妻の襟を外しに掛かったその時―。
人の話し声が聞こえるではないか。
ギクリと強張る銀屏の肩を抱き、自身の口唇に人差し指を当てる。頷く妻に目を細くしながら聞き耳を立てれば、反対側の浅瀬から聞こえるようだ。切り立った崖の上は丘になっているので、その姿を確認する事は出来ない。船で上陸したらしく、人数は二人。しかもこの声は・・。
「朱然殿、あの噂は本当だろうか」
「ああ。この湖には間違いなく大物が住み着いている。あの水しぶきを丁奉殿も見ただろう?何としても釣り上げて、孫権殿や皆に振る舞おう」
「うむ。腕が鳴るな」
珍しい組み合わせだと考えながら、張り切る二人の先ほどの会話をいぶかしんでいた。この太湖には主がいると己も耳にした事があったが・・。水しぶきだと?そのようなものは目にしなかったが。
― まさか。
その考えに銀屏も思い至ったらしく、自分達の事ではないかと身振り手振りで訴えられた。恐らく間違いないだろう。苦笑をもらしつつ頷けば、妻の眉尻が下がる。そんな銀屏の頭を優しく撫でながら、さてどうするかと思案していた。すまん、あれは俺たちだと名乗り出ればいいだけの話だが、今の妻を二人の目に触れさせたくない。淫らで美しい最愛の女人を、誰が他の男に見せたいものか。幸いにも二人は向こう側で糸を垂らしている。静かにここを離れれば見つかる事無く対岸に渡れるだろう。それを身振り手振りで伝えれば、銀屏は頷いてくれた。来た時と同じように妻を抱え、湖に入ろうとしたその時。
「朱然殿、それがしは向こうで釣ろう」
「ああ、頼む」
まずいことになった。対岸を目指し泳いでいては丁奉に見つかってしまうだろう。丁奉の注意を引けるようなものも見当たらない。ぎょっとする銀屏のまろやかな肩を優しく撫でながら、息を殺しつつ崖下に移動する。そして岩肌に張り付けば、大きな影が浅瀬にぬっと差し込むのだ。息を飲む妻を抱きしめ影を注視していれば、影は右に左に蠢いた。釣り糸を垂らす狙いを定めているのだろう。湖へと長く伸びる竿の影に目をすがめる。すると、腕の中から小さなくしゃみが聞こえるのだ。朱然には聞こえていないだろうが・・。慌てて口元を覆う銀屏を殊更抱きしめ上を見れば。
こちらに身を乗り出した丁奉と目が合った。
咄嗟に小さな頭を抱き込んだので、艶やかな妻の表情は奴の目に触れていないはず。それに少しばかり安堵しつつ、目をむく丁奉に苦笑をもらす。そして奴が口を開けるより早く、自身の口唇に指を当てていた。丁奉は意図を汲み、慌てて口を閉じるとしっかり頷いてくれる。それに感謝しつつ朱然の元へと戻る丁奉を見送った。その直後-。
「丁奉殿、どうしたんだ?あ、もしかして大物がいたのか?!俺も一緒に釣ろう」
喜び勇んだ朱然の声に銀屏は再びぎょっとする。そんな妻の頭を優しく撫でながら事の成り行きを見守っていれば、慌てる丁奉の声が聞こえた。
「いや、向こうに魚はいなかった」
「じゃあ何がいたんだ?」
「えっ。それは・・、・・蝶。そうだ、蝶だ。それはそれは美しく可憐な蝶が立派な狼と戯れていた」
「なんだ、蝶と狼か」
あからさまに落胆する朱然だったが、続く丁奉の言葉に声色が変わる。
「それは本当か?」
「ああ。大きな魚の影があちらに向かうのを見た」
「逃がしてたまるか。行こう丁奉殿」
「うむ」
二人の声と水を切る櫓の音が次第に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。銀屏を下ろすと二人で深く息を吐き、安堵の胸を撫で下ろす。
「二人には悪い事をしたな」
「うん。私がくしゃみをしたから・・」
ごめんなさいと項垂れる妻に微笑を浮かべ、小さな頭を優しく撫でる。
「お前のせいではない。遅かれ早かれ見つかっていただろうからな」
しかし丁奉には助けられた。機転を利かせ朱然を上手く誘導してくれた奴に感謝していると、銀屏も頷いている。そして二人が消えたであろう小島の向こうに向かって深く頭を下げるのだ。ごめんなさい有り難うございます、そう心から感謝する銀屏に目を細くしていると、顔を上げた銀屏はきょろきょろと辺りを見渡し何故かため息をついた。
「どうした?」
「蝶と狼がどこにいるのか分からなくて。子敬様は分かった?」
眉尻を下げる妻に微笑が浮かぶ。
「銀屏、それは俺たちの事だ」
「えっ、私たち?」
「ああ。可憐な蝶か、お前にぴったりだな」
流石は丁奉だ。あごひげを撫でつつ満足していると、目を丸くする銀屏だったが。あ、ありがとうと恥ずかしそうに礼を言われ微笑が浮かぶ。はにかむ妻の可愛らしさに益々目を細くしていると、妻にじいっと見つめられるのだ。そして。
「・・うん。群れを率いる狼は丁奉殿の言うとおりに立派だから、凜々しくて素敵な子敬様にぴったりね」
そう嬉しそうに笑うではないか。全く、この子は本当にどこまで可愛いのか。
「それは光栄だな。だが」
軽やかな体を抱き上げると、白い頬が淡く染まった。どぎまぎと見つめてくる可愛い人に浮かべた笑みを深くしながら距離を詰める。
「狼は狼でも、俺は悪い狼だぞ?」
「え?」
「可憐な蝶がどこへも飛んでいかんよう、たぶらかしているからな」
こうやってなと瑞々しい口唇を甘く食み甘やかに見つめれば、ほんのり熟れていた滑らかな頬は益々赤く熟れた。恥ずかしそうに見つめられ愛らしさに目を細くしていると、白くたおやかな手に頬を優しく包まれる。
「私は、そんな狼がいい」
そんな悪い狼が好き、そう口唇を甘く食まれるのだ。
「・・全くお前は」
思わずため息をもらせば妻は困惑し、不安そうに見つめてくる。そんな銀屏を強く抱きしめ、可愛すぎて困ると批難し甘い口唇を深く貪った。
「んっ」
ピクピク跳ねながら懸命に応える妻が可愛くてどうしようもない。だと言うのに愛らしく舌をからめられるものだから、より一層可愛いのだ。ねっとり応えると、くぐもった嬌声が鼓膜を刺激する。あおられるまま思う存分堪能すれば、息も絶え絶えな銀屏にくったりともたれ掛かられた。熱く染まった魅惑的な肢体に情欲を募らせていると、甘やかな吐息をもらしつつ甘やかに見つめられるのだからたまらない。
「今すぐお前を食ってもいいか?」
「!」
二人への罪悪からか、妻はふるふると頭を横に振る。
「駄目か?」
すらりと伸びた魅惑的な足を淫らに撫で回せば、銀屏は甘く鳴きながら悩ましく揺れた。
「やっ、ん、だ、めぇ」
「駄目なのか?」
「んんっ、・・め、駄目なのぉ」
甘く震えながら腿をすり合わせる妻の、なんと淫らで美しい事か。情欲は膨れ上がる一方だと言うのに、それでも銀屏は甘い顔で己を拒絶する。そんな妻に劣情を催しながら、その気にさせようと魅惑的な肢体をじっくり愛撫していく。より一層熱く染まる体と乱れた呼気、そして情欲に濡れた愛らしくも美しいかんばせに尚も魅せられる。
「このままではお前も辛いだろう?ん?」
「あっ」
敏感な箇所を攻めつつ小さな耳元で熱く囁けば、快楽に濡れた眼ですがるように見つめられた。
「子敬、様も、辛い?」
このような状態でも己を気遣う愛妻が、たまらなく愛らしく愛おしい。まぶたに熱い口づけを贈る事で応えると、ややあって真っ赤な顔で頷いてくれる。そんな銀屏がより一層愛おしく、小さな額にも口付けを贈れば恥ずかしそうに見つめられた。
「子敬様」
「ん?」
「私もあなたを、食べてもいい?いつもみたいな、つまみ食いじゃなくて」
「つまみ食い?」
「あっ」
ハッとなった銀屏は細い首まで赤く染めながら動揺する。そんな妻を甘く見つめ、熱い頬を優しく撫でた。
「いつもつまみ食いをしているのか?」
「う、うん。眠るあなたを見ていたら、つい」
顔の至る所に口づけたり、口唇をついばんだりしているそうだ。なんだそれは、可愛すぎるだろう。
「お前はどこまで可愛いんだ?」
ん?と小さな顔に口づけの雨を降らせ、くすぐったそうに恥ずかしそうに笑う可愛い人に目を細くする。
「言っただろう?お前の好きにして構わんと」
思う存分食ってくれ、そう甘やかに見つめると、殊更恥ずかしそうにしていた銀屏だったが。
「あ、ありがとう。じゃあ遠慮無く」
いただきますと合掌され思わず吹き出せば、妻は恥ずかしそうに縮こまった。
「お、お前は本当に面白いな」
「うう」
声を上げて笑いながら益々縮こまる可愛い銀屏を抱きしめる。
「面白く、そしてたまらなく可愛い」
「!」
恥ずかしそうに嬉しそうに、ふにゃりと笑う妻が可愛くて可愛くてたまらない。

お前は本当に可愛いな、そう小さな耳元で甘く囁きながら細い首を覆う襟を今度こそ優しく外し、露わになった柔肌を堪能したのだった。


―了―


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*二年目の太湖はこんな感じになりました。やっぱりいちゃいちゃしています。